仕事の具現で感じたこと。
7階建ての大型量販店の我が職場。
入社してからずっと5階のお仕事だったのが、「やりきった!!」というほど納得できる仕事を成し遂げた直後に、突然3階の仕事に移動になった。
それが、9月に入る直前のこと。
3階は、そりゃあいそがしい。
ここがこなせれば、「どこの階へ行ってもやっていける」と言われるほど、いそがしい。
様々な物、人、環境がいり乱れる中での、エナジー管理。
整理整頓。
まだまだ、仕事に追われる状態が続いている。
そんな中、同じ仲間の男の子が、今日は階を交換しないか?と持ちかけてきた。
実はその子は、8月中ずっと3階を担当していて、私よりも作業にも慣れているのだ。
さらに、彼は3階の仕事が好きなのだと言う。
彼は近ごろ5階を担当していて、ちょうど私と逆転した形だった。
私は、その申し出にしばし迷い、結局受けることにした。
心のどこかには、慣れ親しんだ5階へもう一度行ってみたい、と言う思いと、3階作業の忙しさから離れてみたい、と言う思いがあった。
そして、久々の5階作業を開始。
なじみの社員さんたちに挨拶すると、「もう慣れてると思うから、いつも通りにお願いしますね。」と普通に言われた(笑)
だがしかし、始めてみると、この階の作業自体はすでに把握しているし、一通りこなせてしまうので、あまりに自分の力量を持て余してしまうことに気が付いた。
基本的に5階の作業はほぼ一人作業のため、なじみの販売員さんはいるものの、交流そのものも少なくなる。
なので流れもゆったり。
内観するにはこの上ない環境だ。
いっぽう三階は、慣れないこともあり、覚えることも多いし、人とのコミュニケーションも多くなる。
私と同じ商品整理作業を担当している大学生のアルバイト君も混じるので、いそがしい中、交流しつつもより軸を保つことが必要だ。
そして、仕事場の流れる雰囲気とでもいうか、私にしてみると、流れているエナジーの速度が速いのだ。
でも、だからこそ自分が磨かれる。
鏡がたくさんある中での、側面を知るレッスンでもある。
反応もするが、そのぶん変化もする。
新しい未知の流れに飛び込むからこそ、殻が破れて変化が起こるんだ。
3階作業は、私が顕在で決定できるものではなく、神聖な流れに乗ってやってきた必然だ。
ならば、ここが今の私に最もふさわしい、奉仕の場、自分を知る場なのだろう。
5階に一度戻って味わったから感じられたこと。
速度の速い中で、様々に変化する状況をあるままに受け容れ対処しつつ、人とのコミュニケーションをとり、自分の軸を保って仕事(奉仕/体現)を行なうレッスン。
受容します。
そして、ゆだねて日々、味わいます。
マイスピリット。
soramixi
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14日、両親と京都駅で分かれた後、私はバスに乗って自宅へ向かった。
いつも別れ際にはお父ちゃんと母とハグをしていたが、この日はしなかった。
なにか違うんだ、と感じた。
感謝と寂しさとで涙がこみあげる。
二人に手を振って、私は踵をかえした。
バスに乗りながら、両親との別れを振り返った。
私は、自分の幼さを、ハグを通し、二人に抱きしめて欲しかったんだな。
今まで。
そう感じた。
でも、もう私は、外に求めなくても自分で自分を養い育てていくことが出来る。
もう、だっこを外に求める必要は無いんだ。
もちろん、今もまだまだ外に求めて反応したり、不足感から顔色を伺うことだってある。
そんなものはコミコミだ。
私は完璧じゃないし、成長途中の幼さをたくさん持っている。
シップパートナーのゆきが見せてくれているように、彼女が学びを通して昇華させようとしている幼さを、私は今、直面しようとしている。
やっと直視が始まったところだ。
ゆき日記 『花開く』
http://mugenlove.blog51.fc2.com/blog-entry-921.html
私はエナジーの状態を観察し、呑まれることなく活用できるように成りたいのだ。
でもそれにはまず、認めるところから。
持っていることを知ることから。
自分の純粋さ・すでに在る霊性へのフォーカスを忘れることなく。
私はすぐに、片側だけにフォーカスするので、そこは自分の守護の為に気を付けるところ。
バランス。
内観しながらバスに揺られている内に、私はいつの間にか眠りについていた。
かなり、深い瞑想状態(笑)だったらしく、はっと気付けば降りる予定のバス停をはるか過ぎて、ずっと先のところまで来てしまったらしかった。
明らかに、周囲の景色がいつもと違う。
あちゃ~。。。
やってしまった。
仕方が無いので、次に止まった停留所でいったん降りることにした。
その時、ふと思った。
あれ、忘れ物のお弁当入れと本を預かっている預かり所って、もしやこの辺ちゃうか?
9日にバスの中に男女性の本を忘れ、10日にバスの運転手さんから見つかったことが連絡があり、取りに行こう、取りに行こうと思いつつも忘れていたのだ。
関連記事 『私の中の男女性』
http://soranosanpo.blog.shinobi.jp/Entry/192/
どうせなら寄って帰ろうと思い、バスから降りてふと顔を上げると、そこにはなんと、、、
預かり所がどどーんとそびえ立っているではないか!
めっちゃ目の前やんかー!!
それは、停留所から、たった4・5メートルほどの距離だった。。。
私はあまりの必然に、
「なんだこれ。。。」
と思わず言葉に出していた。
今は職場へ通うのにほぼ毎日バスを使っているが、寝過ごしたことなど一度も無かったのだ、私は。なのに今日に限って寝過ごして、降りてみたら男女性の法則の本がある場所に私は立っている。
よほど取り行きや!ってことだったのか、というかもう、
平伏。。。
なんかもうひれ伏すような、「すんませんごめんなさい」という思いだった。
いい加減、私は今、スピリットと強力タッグを組んでいることに降伏します。。。
こんなの、顕在でどうこう出来ることじゃないもん。
コントロールの仕様がない。
忘れ物を受け取り、自宅へ向かって歩く中、私は去年の暮れに蓮ちゃんに言われた言葉を思い出していた。
その時も、私の予測の付かない方法で、すべての段取りが整えられ、必要な状況(シチュエーション)が用意され、夜まで仕事だった私が、本来なら途中参加だったはずの突発レッスンに遅れることなく参加することが出来たのだった。
私がそのことを蓮ちゃんに話すと、蓮ちゃんは言った。
「空は、何でそうなったのかわかるか?」
「どうしてそれ(その様な段取り)が起こったかわかるか?」
私「わからない。。。」
「それが 神聖さや」
顕在の、予測の範疇を超えたところに、神聖さはある。
何でそれがその様に起こったか、すべてが自動で用意され、私が参加したかったレッスンに参加出来たのか、どうやってその方法を起こしたのか私にわかるべくも無かった。
蓮ちゃんは言った。
それがゆだねるなんだと。
その時、出来る限りのことはした。
引き寄せたのは確かに私。
でも、どうやってそれがやってくるのか、それは顕在がコントロールできることじゃない。
私は、とても久しぶりに、スピリットを身近に感じながら、自宅へ帰った。
soramixi
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nannzennzi present by sora
13・14日と、実家から両親が京都に来ていた。
我が家に一晩泊まり、京都観光をして帰って行った。
二人は数ヶ月ぶりに再会した娘の変わりっぷりに驚いていた。
主に体型に(笑)
母など、最初見たとき私だと分からなかったらしい。
それくらいスリムになったそうだ。
服がぶかぶかだから相当痩せたなー、とは思ってたし自覚はあったが、そんなに驚かれるほどとは思わんかった。
別人みたいだ、と母はしきりに言っていた。
一緒に食事をしたり、お父ちゃんの希望で南禅寺に行ったりとまったりすごした2日間だった。
南禅寺の目と鼻の先に平安神宮があると分かり、やはりお父ちゃんが行きたがったので一緒に行くことにした。
京都に移住して1年以上になるが、平安神宮へは一度も行ったことがなかった。
実は、ずっと行きたいと思っていたから、まさかこんな形で行くことになるとは思わなかったな。
必然(神聖な流れ)には、顕在の思惑なんて及ばないもんだ。
嬉しいことに、南禅寺の庭園や平安神宮の神苑には、睡蓮の花がたくさん咲いていた。
水に浮かぶ睡蓮はとても美しく、ギフトだなあ。。。と思った。
散策中、たびたび黒いアゲハチョウがひらひら飛んでいるのを目にした。
神苑では、金色の甲羅をした珍しい亀が池を泳いでいた。
まだ見ぬ未知の変化がやってきても、目的を忘れず(ここ重要)、地道にコツコツ積み上げていくことが、私を護っていくのだな、と思う。
本格的に生活の立て直しの学びに入って一ヵ月半、両親がやってくるというちょうどぴったりのタイミングで、8月の給与明細書が会社から送られてきた。
なんて必然。
明細書を見て、二人は安心したようだ。
両親の滞在中ももちろん家計簿は付けていたので、私が楽しそうに家計簿をパソコンに打ち込む姿を見て、何かしらを感じたらしい。
自立に向かって動き出していること、伝わったなら嬉しいと思う。
伝わっている、と思う。
母は、体型だけでなく、顔つきも変わった、と何度も言っていた。
前よりしっかりしてると。
ゆきも言ってた。
「空は、自分で思っているような不足した人間ではないよ。
ちゃんとひとりで生きてるやん」
うん。
ホントだね。生きてるよね。
働く中での学びが毎日あって、でも楽しいよ、働くの。
明細書見て、ますます仕事するのが嬉しくなった。
筋力がとても弱かったこの物理面の、自分を支える力を、うちっかわのとても弱かったとことと合わせて、今鍛えてるんだな、って思う。
急激な運動ではなく、毎日ウォーキングするとかストレッチとか、自分に負担の無い鍛え方をしている感じだ。
無茶苦茶がんばって、めっちゃ急いで鍛えて筋肉ムキムキにして山を駆け上がろうとしても、置き去りにしているものをそのままには進めないんだ。
放置したまま全速力で走って、走って、走って、走って、また忘れ物を取りに戻るより、じっくり、確実に、自分を育てる方法を私は選んだ。
見たくなかったもの、見ようとしてこなかったものも、今たくさん浮上している。
怒りとか、執着とか、比較とか、軸の見直しとか、いろいろ。
汚い!と切り離していたものの価値を、ほんとうに知っていく学び。
それは言い換えれば、私のあるままを、あるままに受け容れる学び。
分かったふりをして誤魔化してきたものが、今目の前にやって来ている。
でもこれは、探究の中で自然に起こるギフトなんだね。
今まで表層で掬い取ってきたものの、さらに奥から、溜まっていたものが見えてきたの。
私が、望んだから。
いやだもん!
見たくないもん!
そんなこと思ってないもん!
という私もいて、どうなっていくのかどきどきする。
味わいましょう。
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近ごろ自分の身体が大好きになった^^
肉体って美しいわ~って思う。
そういえば、学生時代夢中になって絵を描いてたとき、人の身体ってなんて美しいんだろう。。。って思ってた。
骨格とか、筋肉とか、全体のフォルムが、とてもとても、神聖で美しいものと感じていた。
人物デッサンも、うっとりしながら描いていたっけ(笑)
ここ一ヶ月で私は、だいぶやせてすっきりした。
今まで不足感から外に求めて摂取していた分が減り、本来の状態に戻ってきたのだ。
身体が軽い。
無駄に取り込むことも少なくなって、身体への負担も減った。
うんうん。
いいかんじ^^
自立に向けて、コツコツ探究をやりだして、ちょっとずつちょっとずつ、変化している。
何かを知りたい、これってほんとはどうなん!?
と求めれば、それに必要なことが、具現を通してやって来る。
そして、知りたかったことを知る。
スピリットと私が、ひとつになって循環をする。
コツコツ、積み重ねていって、こうやってだんだんと、信頼が育まれてゆくのかな。
それは、素敵だね。
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私が顕在/男性性/物理の価値を認めておらず、神聖に扱っていなかったが、
それに自ら気付き変化させていく、というメッセージを受け取った。
今まで、私の中では、霊性の学びだけが大事、物理や仕事はそれより劣る、価値が低い、とみなしている部分があった。
とても排他していた。
それは置き換えれば、自らの男性性/顕在を排他していることだった。
自分を。
9月10日の夜、仕事帰りのバスの中で、私はその日の仕事を振り返っていた。
私は今、大型量販店での商品整理をしているのだが、1日に何百と商品が搬入されてくる。
その商品の多くには、薄いビニールがかけられ、毎回それをはずして捨てている。
それを見ていたアルバイトの女性が、呟いた。
「この大量のビニールを見ているとエコってなんだろうって思うわ。。』
確かに。
毎回捨てるだけのこのビニールは、無駄でしかない。
資源がもったいないよな、と私も感じた。
でも、はっと気付いた。
このビニールかけを仕事にして生活している人もいるんだ、と。
私は京都に住み始めてから、半年以上日雇いの仕事で生活していた。
下請けの、小さな会社で同じような仕事を経験したこともある。
だからどの場所でも、自分には必要性を感じないことでも、それが必要でそれで生きている人もいることも知っている。
目に見えるところだけで、ただ無駄、と切り離して、排除して、それで調和するの?
しないよね。
みんなつながっているのに。
私、切り離しているなあ、と思った。
それも、私の側面だ。
私の中に在ることだ。
受け容れよう。
最近、たくさんのものを切り離していた自分を、いっこいっこ発見している。
見つけるたびに、実は離れているものなど無いことを知る。
つながっている。
ふと、Pとのシェアを思い出す。
顕在/男性性/物理
これらはみんな神聖
前日に、生きているだけで奉仕なんだ、と感じたこと。
肉体がなければ顕在がなければ、味わえないこと。
関連日記 『生きるすべてが』
http://soranosanpo.blog.shinobi.jp/Entry/191/
うん。
今まで、一生懸命排除していたけど、認めるよ。
私には必要なんだ。
身体も、物理も、顕在も。
私の中の男性性を、排他しないよ。
すると次第に、この身体に、顕在に、感謝が湧いてきた。
心の中で「ありがとう」と思うと、嬉しくてじーんとした。
(こういう感情の味わいって素敵と思う)
身体があって、支えてくれている。
私が、生きることを支え、共に、外なる奉仕をしてくれている。
バスの中で、外を眺めた。
指で自分の皮膚に触れてみた。
最近の日課で、仕事から帰り、瞑想やエナジーワークをして、肉体をいたわっている。
内に声に耳を傾ける。
内にも、外にも、愛。
そこで感じる、心地よさ。
身体をエナジーが通っていく感覚。
最近お気に入りの味噌ラーメン。
もっぱら私の夕ご飯となっているが、じっくり味わうと本当においしい。
キャベツと卵を入れただけのシンプルなものだが、とても満足している。
水を多めにいれ、最初から粉末スープと乾燥麺と野菜を入れて、生味噌としょうゆを少し足し、ぐつぐつ煮込むのだ。
仕上げに生卵を落としてかき混ぜて、煮込み味噌ラーメンの出来上がり!
じーん。
しあわせー。
こういうことも、肉体/顕在/男性性/物理があってこそだなあ。。。
ずっと、認めていなかった。。。
私は、パートナーシップの学びからたくさん知らなかった自分を知った。
自分が何をしていたのかも、気付かなかった。
誤魔化し続けた。
後悔もした。
いつかまた新たにこの学びを引き寄せた時、それらを全部活かそうと思った。
何が必要で、何が大切で、何に配慮をすれば良いのか、分からないこともたくさんあるが、何も知らずにいたころよりも、分かっていることもある。
でも気付いた。
「いつか」 「今度」 「次」 ではなく、今、現在、私の中の、内なるパートナーシップにそれを活かせばいいんだと。
もうすでに持っているんだから、実践するだけだ。
なあんだ。
外に探しに行かなくても、ずっと在ったんだなあ。。。
実際のパートナーシップの学びも、この内なる男女性をより円滑にする学びでもあり、守護や奉仕を通して学んでもいた。
でも、本当に、リアルに、自らの内なる男性性と女性性のパートナーシップに置き換え、実際に実践していたかと言えば、そうではなかった。
もちろん、今までの学びの中でやって来たこと、やれたこともある。
だけど、本当の実感で置き換えが始まるのは、今、ここからだ、と思った。
リアルの学びを経験したからこそ、出来ることなんだ。
少なくとも、私には。。。
何度も自分の中で、男性性を、神聖さを切り離そうとしたけど、切り離していたけど、結局切り離せなかった。
今この瞬間にも、私はいて、肉体は生きている。
私の、この内なる男女性は、なくならない。
ずっと。
安心した。ホッとした。
私の中に男性性を感じられて、嬉しい。
一緒に、神聖さへ向けて一つになりたい。
私はそれを、大切に育みたい。
深い深いところで、繋がり合う男女。
神聖なパートナーシップ。
それは、私の中に在ったんだ。
そんなことを味わいながら自宅に帰ると、バス会社から電話が入った。
実は前日(9日)、残業帰りのバスの中に男女性の法則を書いたある本をお弁当いれと一緒に置き忘れてしまっていたのだ。
顕著な具現。。。
すべてが奉仕。
でも、まだあるよ。つながっていないよ。
そこを見て。
具現を通して、内からメッセージがやってきた。
奇しくもこの日、あまりに忙しさで残業することになり、前日と同じ時間のバスに乗ることになった。
その時の運転手さんは、女性だった。
私が前日忘れ物をしたことを伝えると、すぐにバス会社に確認を取ってくれた。
が、お弁当入れと本は届いてないと言う。
何かあったら連絡をくれるとその女性はいい、私はそのままバスに乗って帰宅した。
すると電話があり、女性の運転手さんがバス会社でお弁当入れを見つけてくれたのだった。
この日、私は置き忘れたお弁当入れと同じ物を持っていて、それを帰り際に目にして、同じものだったからと気付いてくれたらしい。
男女性の法則が還って来た!
それも、私の家から自転車で10分もしない場所に、忘れ物の預かり所があるという。
こんなに近くにあったんだ。
嬉しかった。
忘れ物は私に、ここを忘れているよ、とフォーカスして教えてくれるもの。
気付いたら、即、戻ってきた。
やっぱり、内から外、だ。
光の道々/P
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9月9日、仕事中に様々な変化があった。
内的に。
浮き沈みを繰り返し、のちにゆきから「落ちちゃったねー^^」と笑われるくらい精神状態が急降下しのだ。
が、その後の内観と意識の切り替えが、私を浮上させてくれた。
『奉仕』
内なる神への奉仕、という意識が、恐れを愛へと変容させた。
その意識状態で、ふと、先日のゆきとのシェア中に話題にでた、ゆきの自己探究の足跡を書き綴った『ワタシの軌跡』を読んでみようと思った。
なぜかふと、思った。
読み出すと、涙がぶわっとあふれてきた。
ゆき、生きてて良かったね!
スピリットは感謝しているよ。。。
歓びのような慈しみのような、そんな想いが湧いてきて、とにかくその思いを伝えたくてゆきにスカイプした。
(が、いつの間にか私の気付きの話になってしまった・笑)
以下、空の会話部分。
「私、今日気付きがあったの。」
「私はただ生きているだけで奉仕している。
実は、肉体を持ってここにいるだけで、価値があった。
と感じた。」
「仕事中、とてもネガティブに陥った。
私は何で生きてるのか、今楽しくない、喜びがないのに、なんで生きてて、この土壌にもい続けている?と。
その状態の中で、こんな私に価値があるなら教えてよ!とスピリットに訴えた。」
「鬱積していたのだと思う。
それを、内側で出し切った。
しばらくして、ふと思った。
私、今何している?と。
仕事中だった。
仕事は、奉仕だ。
でも、今私は奉仕に意識が向いていない。
と、気付いた。」
「奉仕に意識を向けていたら、私は奉仕がしたかったんだ、と思い出した。
気持ちが浮上した。
何で生きてるのか、私、奉仕したくてここにいるんだと、思った。
そこから、内観をした。」
この時、龍さんの言葉を思い出したんだ。
『空のスピリットは、奉仕したくて空をここに具現させたんやで』
スピリットと一緒に奉仕できることが、嬉しいと思った。
「私の身体がないと、ここでは何も出来ない。味わえない。
ゆきも言ってた。
スピリットが、この肉体を通して仕事してるんだって。」
「ラブスピースは真実を拡大するという目的があるが、私のスピリットは以前アクセスで言っていた。
大きな意味では、学びも遊びも同じ と。」
「去年の(旧)蓮クラスのとき、大きな意味では根源(神)の自己創造をしていると連ちゃんが言っていた。
体験を味わい、神は自分の素晴らしさを知って拡大する。」
「私が、ここで、肉体をもって、存在していないと、スピリットは体験を味わえない。」
「ここで、生きている、息を吸ったり、食べたり、感じたり、触ったり、そういうすべてのものも、肉体を持ってここにいなければ、味わえない。
生きているだけで、神への奉仕。」
ゆきは静かに耳を傾けてくれていた。
それはイコールで自分への奉仕だね、と言った。
そう思う。
すべての時間が、体験が、神聖。
どれもが奉仕で、どれもが切り離されてはいない。
自分=スピリット=神
いうなれば、男性性と女性性と神聖さのような。
私の内在の男女性とスピリットの関係でもあるだろうし、大きな意味では、私(顕在)とスピリットと根源の関係なんだ。
物理と霊性も。
ラブスピースとわたしも。
そのどれもが、大きなもののひとつ。
生きていること、今も生きるを選択したことに、スピリットは心から感謝していると感じた。
私はゆきに投影して、自分で感じたかったんだろう。
どの体験にも価値があり、意識的に活用すれば、感情を通し愛も恐れも味わえる。
自分を成熟させたいと思えば、すべてはレッスンにもなる。
意識ひとつ。
でも、肉体を伴った実感があってこそ、だろう。
神聖な私の身体。
神聖な、顕在のわたし。
根源の望みがあり、スピリットの願いがあり、
肉体を持って、物理を実際に生きる私があって、行なえる共同創造なんだ。
私自身を責め裁くのは、私でしかない。
一人芝居。
こういう目線と、どんな感情も反応も全部あるままに受け止めると、どっちも同時にあるといいな、と思う。
バランス。
一時感情にふりまわされ、苦しさに自分を見失って、感情なんていらない!私が苦しいのはドラマの所為だ!なんて思ったこともある。
でも、この感情があるから、触れ合う喜びを感じられるし、感謝を味わえるし、楽しさもあるし、自分を知って心が楽になったりするんだ。
自分のことがだんだん好きになっていく感覚を味わえるんだ。
悲しいを知っているから嬉しいが分かるんだ。
心地悪さを知っているから心地良いを知れるんだ。
(あ、二元性の活用ってこんなんかもしれん)
そういう風に味わうのに、感情はとても大切だし、必要。
初めて、「感情」って神聖なんだ、と感じた。
書いてて思った。
感情も奉仕者なんだね。
その機能を果たすことで、あるままに奉仕しているんだ。
わたし、という軸を、どこに置くかで感情は盲目を生むし嵐にもなるが、わたし、という軸をどこに置くかの選択は私がしているので、それは「感情」の所為ではない。
バランス。
でもこのバランスをとることは、それぞれを活用するが要る。
あるままの本来の機能(在り方)で。
活用するには、そのものを知らなければ活かし方は分からない。
そうか、それでひとつひとつ味わっていってるんだ、今。
そう、私は望んでいた。
すべてに神聖を見出したいと。。。
関連日記 『私の願い』
⇒http://soranosanpo.blog.shinobi.jp/Entry/184/
私と、肉体と、内なる男女性、物理、感情、思考、体験、それぞれの在り方(機能)。
それぞれが神聖。
そういうことを、今、味わい、見出していっている。
dozen/ Ren(蓮ちゃん)ブログ
http://ryu-and-ren.seesaa.net/
dozen/Ryu(龍さん)ブログ
http://dragon-and-lotus.seesaa.net/
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ゆきとシェアをしてから、自分の全部を排他するのをやめにしたいと感じたから。
関連記事 『受け容れる』
http://soranosanpo.blog.shinobi.jp/Entry/188/
だって、自分の中でA子とB子を創り、A子は素敵とか優れていると認めてB子には批判したり無視したり軽蔑を向けるなんて、それはあまりに私の側面がかわいそうだ。
自分で自分を攻撃し続ければ、苦しみは終わらない。
そんな自分いじめをやめにしたかった。
だから、まずやっているそのままを、観たいと、知りたいと思った。
観察を続けると、こんな関係性が私の内で起こっていることに気が付いた。
「責めたてる母親」と「怯えてうずくまる女の子」
これは表現は違っていたが、ゆきとのシェアでも見えたことだ。
それが、より具体的に(立体的に?)現すとこういうことになる。
幼い私が何かをする。
失敗したり、上手くことが運ばないこともある。
母親の想定どおりに動かないことも。
その時母親は、女の子を責めたてる。
何でこんなことも出来ないの!
どうしてそんなにダメなの!?
なんて汚いの!
すると女の子は、怯えてごめんなさい!と小さくしぼんでいく。
自分が悪い子だ、失敗する自分はダメなんだ、価値がないんだ、となる。
そして、母親に怒られないように嫌われないように、顔色を伺いながら母親が機嫌が良くなるよう演じ出す。
認めて欲しい、受け容れて欲しい、愛して欲しい。
それを獲るためになら、何でもするようになる。
こういうことを、私は自分の中で、自分の部分を切り離して、自分自身に対してやっている。
そして、自分の中で自分に行なっていることを、他者に投影し具現させているんだ。
今や、相手の反応を感じた瞬間に、反射的に怯え・顔色を伺うを行なっている。
軸を周囲に預け、顔色を伺い、好かれようと無自覚に行なっている時、私は幼い私と同じ状態(状況)にある。
そして、自分の部分を認めず切り離して攻撃を加えることは、そのまま周囲の人間関係でも具現する。
責めるのだ。
心の中で。
自分が正しくて、相手が間違っていると。
私が自分にしていることを、そのまま外側の世界に再現し繰り替えしている。
でも、自分が自分にしていることを止めない限り、この投影は終わらないだろう。
責めるのも怯えるのも、どちらも私だ。
ゆきとのシェアで男女性の話が出た。
本来の女性性は高い霊性を持ち、母性や育む愛を持っている。
ダメ・排他するのは不全の女性性であり、幼い空は、不全の女性性の声を本当の声と履き違えて聞いている。
常に伝えられている神聖な声も、不全の女性性のフィルターを通り自動変換される為、愛の言葉も責めや否定に聞こえてしまう。
そして、不全の女性性から波及される欲求を内の声と思い込み、幼い女性性は幼い男性性に波及し、結果として不全に沿った動を取ることになる。
どんな側面も、切り離して汚い!見たくない!必要ない!と排他するのでなく、すべてを自分の側面としてあるままに認める。
あるものはある。
そして、それを排除したり悪者にして除けようとしない。
悪くない。
そこから自分を知って愛を学ぶ。
持っていてもいいんだ。
責めなくてもいい。
まずはそうして本当の意味ですべてを受け容れる。
その上で、自分を観察し、かわいそうな自分いじめを発見したら、やめる。
どれも自分自身で、切り離して何かの所為、としても、苦しみは増すことをもう知っているから、やめられる。
根気よく見守り、そのまま受け容れ、励まし、なにも怯えなくて良いことを私に教えてあげる。
じっくりじっくり育んでいく。
今の学びの一つ。
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蓮エッセンスにはじまり、空の抱えている学びの根深いところまで話が及んだ。
ゆきはとてもナチュラルに、今まで蓮ちゃんから受け取ったエッセンスを自分の中で昇華させ、それを私に伝えてくれる。
お互い立て直しをしているけど、私はゆきからたくさん教わっている。
日々の過し方、今の楽しみ方、自分の素敵なとこ探し。
今のゆきごとそのまままるまま、私にとってのエッセンス。
たくさん吸収しようと思った。
7日は、シップパートナーの悠子さんとシェアをした。
蓮エッセンスの波及から、互いの今の学びに話は移行する。
その中で、悠子さんは言った。
「それで、私は、空さんが、
スピリットに応援されていると確信した。」
「そりゃ強力に応援されてます!!!」
おお。すごい確信だ(笑)
当人よりも信頼してる。
私は、聴きたかったんだろうなあ。。。
ゆきも悠子さんも私の鏡。
私の見たかったことを見せてくれる。
ゆきとの話で、本当に認めること、受容の話になった。
ゆきは、ゆき自身が蓮ちゃんから受け取った言葉を、私に伝えてくれた。
どんなに自分で汚いと思う反応も感情も、認めてあげる。
それを汚い!と排他するのって、自分に何をしているの?
自分の中で、分裂させて戦争してるんだ。
どれも、私なのに。
それは、かわいそうだ。
私が。
本当に受容することは、本当に丸ごと私を受け容れ愛すること。
今までの表層でない、もっと踏み込んだ本当の受容。
愛も、エゴも。
その領域へ入ったのだと、感じた。
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◆蓮との出会い
どこか遠くに探し求めなくても、愛は自分の内にあった。
私は一人ぼっちじゃなかった。
目には見えないけど、大いなる存在に守られ生かされていることを知った。
頭ではなく心で感じた、最近の私の自己探究。
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