スピリットと共に歩む真実の道【Love Spiritual Peace】
9月5日。
3ヶ月ほど前になるけれど、蓮/高次と共に過ごした大切な時間を振り返る。
苔寺奥の河原の瞑想へ、蓮ちゃん、龍さん、akiともっち、そして私の5人で行った初秋。
その体験は、「今」、や「手放すこと」とはを、垣間味わった出来事だった。
私にとっては、とても大切な時間。
クンダリーニの覚醒者であり、高次意識を持つ、純粋な高次の媒体である蓮と味わう共同創造。
歪みの無い媒体であるからこそ、私自身の高次意識の鏡として、目の前に具現している存在でもある。
鏡となる蓮を通して、私は私の内奥の神聖さに触れる。
誰の中にもある真実がそこには映る。
私自身の高次の声を、蓮をパイプとして受け取る。
蓮と共に歩み、体験を創造するという霊的な奥深さを、自分をさらに知る楽しさを体感できた。
大切にしたいからこそ、当時の記録を振り返り、今に活かせるものを、残しておこうと思った。
過剰書きだけど^^
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2010年 9月5日
・dozen(蓮/龍)とaki、もっち、空の5人で苔寺奥の河原の瞑想に向かった。
・瞑想(空的にはイニシエ)用に、テッポウユリを持っていった。
・最初、予定していた河原には、犬の散歩に男性が2名がいて、
水場で犬とボール遊びをしていた為に、場所移動。犬、すごく嬉しそうだった。
・10分間のキリストウォークで歩く瞑想を行う。
・空が一番先頭だった。歩き出しの際にビジョンを見た。
dozen、akiもっち、空も含め皆で手をつなぎ、もっとたくさんの人々の手が繋がれ、
地球を取り囲んでいた。 地球は、ハートの形をしていた。
空の中には不足は無く、空はどんな時も源と共にある。
高次の空と自覚ある私はひとつに解け合って、源へと帰還するのだ。
いつでも胸の奥に源がある。いつも共にある。
そういうことを感じながら、歩いた。
・タイマーをかけそびれ、時間の経過がわからなくなり後ろを見るが、誰もおらず。
直感にゆだね、内へフォーカスする。なんとなく、10分は経過した感覚があり、
来た道を戻ることにした。
戻る途中、ふと道端のシダに目がいき、手で触れた。採ろうかな、と思うが、やめた。
・少し歩くと、蓮、龍、もっちが見えた。ゆっくりゆっくり、歩いていた。空は速すぎたようだ。
龍さんが蓮ちゃんに何かを伝え、来た道を戻り始めた。時間のようだ。直感は違ってなかった。
その際 蓮/高次から、このくらい(ジェスチャー)の若いシダを採るように、促しがあった。
さっきの気になったシダがぱっと浮かんだ。
あ、あれだ!空、ちゃんとメッセージ受け取っていたんだ。採ってきてよかったんだ!
急ぎ引き返すが、蓮たちは戻りだしている。高次と一人離れてしまう。走るのも違う。
具現を見、あっと気付く。
あの一瞬も、もう過ぎ去った過去だ。
タイミングはあの時だった。今じゃない。私は過ぎ去った過去に執着しているのだ。
高次と共に在る時、走って何とかすることは、流れに沿っていない証拠。
本当にゆだね、沿っていれば 「走る」という必要性を生み出すことも無い。
逆に、走らないとそれを得られないのであれば、そこに在るのは流れに逆らうコントロールだ。
そう、執着だ。愛ではなく、エゴの罠。
私は採りに戻るのをやめ、今ここにあるシダの中からひとつ選んで、蓮の後を歩きだした。
途中で、若いシダでなく、けっこう成長しているしっかりしたシダだったことに気付いたが、
それも後の祭。 このあるままを受け容れようと思った。
・気付くと、aki、もっち、龍、蓮、空の順になっていた。
引き寄せの必然で、空の目の前を、蓮/空の高次が歩いている。
蓮の後ろを歩きながら、今まさに内/空の高次と共に歩んでいる事実に、
すでにある具現にあっとなり、涙がでた。
共に歩み帰還に向かっている、この具現そのもの/事実を、私はどれだけ自覚しているのか。
・蓮の歩みに歩幅も合わせ、ゆっくり歩いた。
蓮を見ながら、蓮を前にし、高次の空と一致して共に歩いている、そういう感覚で歩いた。
空のほうがすぐに速くなったりして、ぴったりさすのは難しかったが。
その重心をゆっくり移動させて歩くさまは、今、にいながら前に進む為の歩み方なのだと、
ふと思いつく。
今に完全にいながら、バランスを取りながら、歩き続ける。
私は今、その人生の歩み方を具現を通して教わっているのだ。
歩き終わりに、蓮がこちらをちらりと振り返り、その後通常の歩き方にもどった。
その姿に、蓮を通して私の高次が私を見ているのだ、となんだかとてもリアルに感じた。
・元の河原に戻ると、犬はいなくなっていた。この場で瞑想となった。
蓮から、瞑想の方法を聴き、akiもっちにも伝えることになった。
シダと結界の清灰と御花を一輪用意し、蓮/高次からの促しに沿い、
おのおの10分間瞑想を行った。
空は、木の根が川に使っている、水際の石の上を選んで瞑想した。
2本に並ぶ木と星空と、白いアンクの様なビジョンを見た。
・最後に花びらを一枚蓮に明け渡し、終了した。 真っ白い大きなテッポウユリ。
テッポウユリは、空にとって大切な象徴だ。
清らかな男女性であり、私の意志であり、内への明け渡す私自身の姿そのものなのだ。
それを明け渡せたことが嬉しかった。
コミットも用意していたが、渡しそびれてしまった。
・今日は創造できてよかった。達成できた。うれしい。
蓮ちゃん龍さん、aki、もっち、それぞれのスピリット達、共同創造をありがとう。
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元々は、蓮の予定にあった河原の瞑想を見て、蓮と一緒に瞑想しているビジョンがパッと
浮かんだことがきっかけだった。
一緒に創造したい、とハートから想いが湧き上がり、動を取った結果、引き寄せた体験だった。
すべてのことに意味があり、高次としての鏡となる蓮との創造は、
私自身にこれからの可能性を見せてくれた。
今、色んな出来事が私の周囲には起こっていて、私自身も渦中にある。
軸を見失い、向かう先がわからなくなることもある。
そんな時は、この体験で得た、自分の足での霊的な歩き方を思い出そうと思うのだ。
今、に在ることには、いかなる執着からも手を放さないといけない。
手を放すことで、今に必要な物を手にすることが出来る。
懐かしいもの、慣れ親しんだ愛しいもの達から手を放すのには勇気がいるけれど。
自分を信頼し、自分の足でしっかりと踏みしめ、味わい、私は歩く。
9月5日。の関連日記
aki 『得るものは、自分次第。』
キーワード関連日記
蓮 『大浄化~それは66に始まった~』
http://ryu-and-ren.seesaa.net/article/100075935.html
龍 『蓮をツールとして使う。』
http://dragon-and-lotus.seesaa.net/article/38373323.html
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<共に創造した仲間達>
dozen/Ren(蓮)blog
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aki blog
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■LSPの最初の扉は、『Communication Ship』です。
探究者同士でシップを組み、グループリーダーの元で、鏡の法則を通して自らを探究してゆきます。
まずは、自分を知ろうとすることから、始めませんか。
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参照:「ラブスピースって、なぁに?」
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HN:
空
性別:
女性
自己紹介:
霊的先駆者の蓮と仲間たちと一緒に自己探究中。
◆蓮との出会い
どこか遠くに探し求めなくても、愛は自分の内にあった。
私は一人ぼっちじゃなかった。
目には見えないけど、大いなる存在に守られ生かされていることを知った。
頭ではなく心で感じた、最近の私の自己探究。
◆Love Spiritual Peace(ラブスピース)HP/リニューアル中
◆dozen/Renのスピリチュアルカウンセリングの受付中
◆空のmixi
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どこか遠くに探し求めなくても、愛は自分の内にあった。
私は一人ぼっちじゃなかった。
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