それは霊的なシェア中のことだった。
心の中で誰かと比較し、思いを口に出すことでの周囲の反応を恐れ、飲み込んだ末、一瞬で風邪を引き込んだのだった。
2日ほどかけて悪化し、喉が腫れ、声が完全につぶれてしまった。
風邪(特に喉)の主な原因は、これ↓↓。
せいやく 【制約】
(名)スル
(1)制限や条件をつけて、自由に活動させないこと。
ハートの奥の、本当の自分の声を、相手の反応や、判断を気にして飲み込むことで、自身への感情の抑圧と、なにより神聖さとの繋がりを遠のけてしまうのだ。
ふっと湧き上がってくる気づきも、ハートの促しも、目の前の恐れや反応に軸を置き、自我の防衛から見失ってしまう。
ここには、上下間もある。
比較も。
義理も。
古い同族意識の在り方も。
絡み合って蓋をして、本来のあるままの伸びやかな体現も、抑制される。
その結果、波及されず循環されず、エナジーはよどみ、朽ちてゆく。
蘇らない。
スパイラルしない。
輪廻だ。
1日に、ラブスピープルの仲間と、INARIへ行ってきた。
ここでは全体で動くことは無く、流れでそれぞれの選択で歩くことになった。
その際にも浮上した「同族意識」。
上下を気にする。
軸を周囲に預け、ハートの訴えを聴かない。
でも、それらに気づきながら、感じるままに正直に動いてゆくことで、だんだんと喉の腫れは引き、痛みも和らいできた。
そして、INARIのある滝にに下りるころには、痛みが全くなくなっていた。
まだ喉に引っかかりはあり、声はかすれるものの、たった1時間ほどの間に劇的な変化だった。
内が外を創る、のリアルな体感だ。
当日は、神聖さの流れに合致できなかったが、これはこれで、私に必要なプロセスだったと思う。
自身への制約に気付き、取り外していくこと。
思い(想念)も言葉も、自分に向けるそのエナジーの質を、しっかりと管理し観察することは、自分の霊性を守護することだと感じた。
目の前のしがらみや同族意識や判断で、内の声をささやきを蓋をすると、こんなに顕著に具現するんだから。
喉がつぶれる。。。
声が出なくなる。。。
それも、ほんのわずかな間に!
しかし、その手前から、小さな具現はあった。
メッセージは向けられていた。
でも、リセットしなかった。
いったいどんなエナジーを自分に向け続けているのだろう。
想念や言霊は、肉体さえいともたやすく変容さす。
ならば、もっと大切に扱わないとね。
自分を。
それは結果として、周囲を大切にすることも同義になる。
エナジーを誤用しない。
責任を持つことは、こういうことも大きく含むと感じた。
この日一緒にINARIを歩いた仲間♪
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12月21日、dozenの蓮ちゃん、龍さん、そしてラブスピープルの仲間と共に、INARIへ行ってきた。
お山全体が赤い鳥居と神社でいっぱいな、なんとも不可思議な雰囲気漂うところだった。
空はそこで、今生用意していた(と、アクセスで伝えられていた)大切なレッスンを二つ、終えることが出来た。
それは、「留守からの開放」と「クンダリーニの傷」を癒すこと。
クンダリーニに傷を持ったままでは、エナジーは上昇せず、アセンションには至れない。
本当の自分を裏切り続けることで、自分自身を神聖さから切り離し、傷を深めてしまった遠い過去から今生までの私。
自己背信こそ「留守」であり、それは「切り離し」でもある。
自己背信はエナジーを朽ちらせ、魂を傷つけてゆく。
すでに在ることも、満たされていることも忘れてしまう。
「内(家=源)」は、いつでも私のセンターにあるのに。
でも、それももう終わり。
正式に伝えられた。アクセスで。
内的に、霊的にそれは起こった。
物理(肉体)まで波及されていくのはこれからだけれど。。。
散策を通しての全体のエナジーの浄化のプロセスの中で、私のイニシエーションは行われた。
dozenが受け取った、具現からのメッセージで伝えられたある場所で、蓮ちゃんと一緒に並んで立つと、高次からアクセスが入った。
(現場でPと全ちゃんがアクセス内容を筆記しといてくれた^^)
081221 INARIにて
3を意識して さらに上昇していくことを、スピリットにコミットしてください。
自分の傷が癒えているということに感謝し、また、傷を持っているという幻想を通して学んだことにも感謝してください。
すべてが統合される。
その意志を持って、これから歩まれてください。
長い間、ご苦労様。
スピリットと共に上昇していくことを、コミットしてください。
ソースに、帰依してください。
今までもそうであったように、これからも、クンダリーニを大切にしてください。
正式に傷が癒えていることをお伝えします。
それが、徐々に肉体に波及していきます。
聴きながら、私は泣いてしまった。
こみ上げる何かがあって、言い表しがたい何かだった。
イニシエが終わり、その場から離れていく時も、本当に癒されたんだあ。。。とどこか実感が無いまま反芻していた。
それでも確かに、体は軽かった。
蓮ちゃんは言った。
この「傷」を通しての学びは、相当長い間(何生も)やっていて、だから終えたことに「ご苦労様」なんだと。
アクセスを聴きながら、私は心の中でコミットし続けた。
感謝と共に、前に進み続けることを。
さらにさらに、上昇することを。
聖なる意志と責任の下に、聖なる役割を果たしていくことを。。。
その後、この今回の「INARI」での霊的な目的地でも在る、3次元と4次元に横たわる壁、「半歩」へと向かった。
朽ちたエナジーを浄化しながら進み、霊的には、物質と精神はすでに融合し、私自身の朽ちたエナジーでもあったクンダリーニの傷も癒された後に、その場所へ辿り着いた。
この日は冬至。
日の入りは、16時49分。
霊的なブロックを取り外し、3次元を超えてシフトへ向かうために、この瞬間が必要なのだった。
早めに到着し、談話しながらその時を待っていた。
そして、日の入りまであと少し、あと一分ちょっと、というタイミングで再びアクセスが入った。
081221 INARI・半歩にて
ようやく内的な意味で、ここまできましたね。
留守も終わりです。
過ぎ去りしものに、ものから手を放し、自らの神聖に立ち戻り、前に進まれて下さい。
必ず、蓮を前に、自らの信頼を忘れずに。
自らが何であるのか探し求めるのではなく、すでに在ることに気付き、帰還されてください。
永久(とわ)であることを忘れないように。
アクセスが開始し、蓮ちゃんを通して高次の口から「留守」の単語を聴いて、えっ・・・となった。
まさか、「留守」のことまで伝えられるなんて思ってなかったから。
過去何度もアクセスで伝えられ続けた「留守」。
「留守からの開放」は、私が今生用意している大切なレッスンの一つだった。
そしてそれも、もう終わりを告げられた。
終わったんだ。。。
ちょうど10月末から本格的に「留守」にフォーカスをはじめ、11月の長野ゼロ磁場イニシエに始まり、その後12月に入りINARIに至るまでに取り組み続けた学びだった。
「留守」の学びには、「今」も「赦し」も「二極性を越える」ことも、そして内なる自己への「完全受容」と「完全降伏」のすべてが包含されていた。
そしてそれはそのまま、シフトを超えることにも繋がっているのだ。
スパイラルはどこまでも続くだろうし、一つの側面での学びが終わった、ということなのだろうと思う。
でも、嬉しかった。
嬉しかった。
ありがとう、と思った。
今年一年、激動の、激流の日々だった。
アップダウンを繰り返し、何も進んでいない。。。そう感じたこともあった。
でも、違った。
ちゃんと、進んでいた。
ゆっくりでも、私が諦めさえしなければ、何度でも立ち上がれるし、何度でもやり直せる。
無駄なことなんて何も無かった。
そう思えたことも、嬉しかった。
まだまだ、向かい合うこと、知ってゆくこと、リセットどころはわんさかあるけど、ここまでこれた自分を認めてあげようと思った。
がんばったね、空!^^
そして探究は続く・・・。
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自己受容、というキーワード。
蓮ちゃん:長野にて
16日は、ラブスピ仲間のPが企画した、京都散策へdozenと共におでかけした。
その中で、今の自分を知るエッセンスを、改めてdozen/Renこと蓮ちゃんから受け取った。
ずっと、ずーっと、もう4ヶ月くらい折に触れて受け取り続けたメッセージだった。
私の内在の、高次領域の私から、具現(シンボル)を通して、夢を通して、
そして、自己探究を通して霊的に覚醒し、すでに意識は5次元を生きる蓮ちゃんからも、
たびたび伝えられていたことだった。
この世界には、「鏡の法則」というものが在り、
出会う人や出来事が、目には見えないけど私自身の心や身体や意識の中で起こっていることを、鏡のように映して私に教えてくれる。
「こんなところがあなたに在るよ。」
「気付いて。」
自分で気付きたいから、自分が気付いていない姿を人や物や出来事を通して自分に見せている。
それは、自分を生きにくくしている信念や、自分がずっと見たくなかった思い込みや、
思いのほか美しかったり輝いている自分の姿だったりする。
そうやって、新しい自分を知れる。
たとえば蓮ちゃんが私の目の前に立っている時、いずれ私自身が成熟した先に生きる、私自身の姿を私は見ている。
私の中にある部分を、映し出してくれるのだ。
「私」といっても、実はひとくくりでは言えやしないほど、多様な私が存在する。
生まれたての赤ん坊や、駄々っ子のようになく小さな私や、バリバリ仕事に精を出す私もいれば、美しい花にうっとりする私もいる。
どれも私で、世界中にたくさん人がいるように、私も多様な部分を持っていて、
その部分の側面として、目の前に立っている蓮ちゃんを通して、そんな風に成熟し、霊性で愛で生きる私を私は知る。
そして、その愛の霊性の私が、私の中心にいる私だ。
中心の私の周りにたくさん貼り付けた、重い重い思い込みや、マイルールや、いろんな自己批判の鎖は、やっぱり鏡となって私を取り巻く世界に映し出されて私は私の心の世界を、実際に肉体ごと味わうけれど、
本当の私は、愛とか霊性とか歓びとか、そういうものであふれている。
救ったり救われたりの関係でなく、私自身が私を満たし救うことができる。
蓮ちゃんは、蓮ちゃん自身が愛に生き、愛を選択し成熟し、実際に肉体ごと高次意識で生きることで、
ナチュラルにあるままにそれを私に教えてくれる。
真実の自分の姿を。
16日に蓮ちゃんから投じられたエッセンスは、受容だった。
他にもたくさん受け取ったけど、きっと今の私に必要なことが、そのエッセンスなんだと思う。
過去、私自身が何をやらかしていても決して裁くことなく、その全部を認めること。
認めずにやってしまった自分を責めたり、受け容れないから、
ずっとずっと手を離せない。
私は、起こってしまった具現を通して、目に見えない神聖な何かを責めている振りをして、
自分自身を責め続けていた。
切り離して、攻撃していた。
これこそ、深刻な分離じゃないか。
ねえ?
蓮ちゃんの言葉で、それに気付いた。
前から言われていた言葉だけど、今だから受け容れられた。
あ、でも、泣いちゃったから、全部じゃないかも^^
泣くって、開放で浄化で癒しだけども、一種の反応でも在るから、
反応中は、エッセンスも言葉も、実はそのまま寸分たがわず受け取るって、むずかしいのだ。
どこかで抜け落としていたり、遮ったりしちゃう。
でも、今受けとれた分が、今の私の必要な分なんだって、思う。
今、在るものを、受容しきれば、
私には、すでになんら不足はないと、
私は知る。
コミットしたもの。
『コミット』とは、私が私の内なる存在と交わした、自分を愛するための『約束』のこと。
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関連日記 『信頼と責任』
http://soranosanpo.blog.shinobi.jp/Entry/198/
不干渉と無関心はまったく異なる。
不干渉の根底には、信頼と愛がある。
今日、もうひとつ、必要なことに気付いた。
それは、『尊重』。
はなからすでに、同時なのだろうが、私の中で切り離されていたもの。
これは、男女性の学びにも必要なことだ。
互いに認め合うこと。
互いの今在る学びを尊重すること。
不干渉=信頼=尊重
私は近ごろ、8月のレッスンにて龍さんからシェアしてもらった、高次のアクセスを思い出す。
「どんな側面にも 愛をともない そそぎ 進む。」
「本格的な探究の始まりです。」
※一部抜粋
新たな法則を学ぶさなか、本当に何度もこの部分だけが、頭の中をリピートする。
すべての側面に自らを見出し、すべての側面に愛を注ぐ。
全体を学び、個を学び、全体を学び、個を学ぶ。
この場所にいるから味わえるものがあり、養われる視点がある。
中庸(バランス)。
この体験は、これから先に進む上で、私にとってかけがえのない宝物になる。
大切に、味わおうと思う。
10月3日の夜、風邪を引いた。
気候に左右されない私の体調は、精神状態によっては誇張でなく一瞬で風邪を引く。
見事なまでの内の具現だ。
10月に入ってから、具現としてのエナジーの流れが一向にスムーズにならず、そこに来てようやく気付く。
何かがおかしい。
最善を尽くしているといいつつ、実はつもりになっていて、何もせずにただ待っているだけなのではないか?
そんな疑問がわき起こる。
なぜなら、本当に実践をしていれば、必ず変化していくからだ。
停滞しているということは、実践されていない何かがあるということ。
そんな中、過去の経験を今のパートナーシップの学びに活かすように、メッセージがやって来た。
それは、盲目を抜け、自らの神聖さを護る為のエッセンスだった。
そこでようやく、自ら意志を持って行動することが、未来を創造するのだと気付きだした。
自主性=創造性
そのわずかながらも生まれた内的変化が具現したのか、10月5日の日中、蓮ちゃんとのオンラインシェアを引き寄せたのだった。
その際、蓮ちゃんは空にこんなことを言ってくれた。
「空を護るのは空なんやで。」
「誰も変わりに護ってくれないんやで。」
うん、蓮ちゃん。
本当にそうだね。
私が私を護る為に動かなければ、何も変わらないよね。。。
私は今こそ、必然で引き出した過去の体験を今に活かす時なのだと覚った。
実践しよう。
それから徐々にリセットを掛けだし、それがやっと眼に見えて具現し出したのが7日から。
それに会わせるかの様に、夢にて新たな学びのテーマを落とされた。
一歩進むと、新しい何かが見えてくる。
エゴも、愛も、そして可能性も。
また、手探りしながらも、学んでいくんだな。
風邪を引き寄せたここ3日間は、自分の神聖さを護る動を通して仲間との調和をたくさん学んだ。
これほど切実に仲間の協力を求めたことはなく、決して切り離せないからこそ、想いを口に出すことがどれだけ大切かも身を持って実感した。
自分の確固たる軸を持つことも。
ただ同時に、私の癖で、境界線を越えてしまったり甘えが出ることもある。
しっかりみて行こう。
物理に波及しきれてこそ本当のリセットといえるだろうし、さらに継続してこそ本当に地肉になったと言えるのだろう。
まだ、始まったばかりだ。
自分を知る冒険は続く。
自分の中に
幼さ/成熟さ/様々な側面/愛/不全
すべてが同時にある(包含している)ことを認めないと、
比較/上下 をつくる。
幼さ⇒価値ない ×
成熟⇒価値ある ○
自分の中にあることを認められなければ、
自分⇔鏡 が持っていることも認められない。
自分の立ち位置で、上に見たり下に見たりする。
自分にしているのに。
幼さを育み育てていくことは、
同時に 自分自身(全体)が拡大してゆく。
侮っていても 排他してもいけない。
(ノートのメモ書きより)
※成熟した自分の側面が、自らの幼さを受け容れ、慈しみ育むと、育む自身が同時に拡大する、ということ。
そしてそれには、まずその自身の側面を、受容することが要る。
ゆえにそれを認める=自己受容=育む=成長=拡大。
どの側面にも実は価値がある。
部分は全体でもある。
なにひとつ、切り離せない。
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近ごろ感じること。
自主性=創造性
自ら意志を持って一歩踏み出す毎に、未来が創造される。
ただ待っているだけでは、変化は生まれない。
女性性の想いを叶える為に、私が私を護るのだ。
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制限・諦め・男女性の連携の不一致
そこから見えた、私の「諦め」癖。
この「諦め」は、制限と関連していると感じた。
そしてこの制限は、「甘え」と「依存」とも連動しているのだった。
私の中で。
これは、昨日の仕事の具現を通して見えた側面だ。
他者への期待や依存、子供じみた甘えに絡め取られた、命の火を吹き込まれるのを待つ才能や成長の可能性が、制限を越えて花開くのを待っている。
「甘え」と「依存」が絡め取って隠すのは、(内なる)パートナーとの完全なエネルギーバランスが土台となった、リスクを恐れない、自主性を伴った新たな創造の力。
力強い新たな側面・即戦力のエナジー。
8月中旬の神聖さからのギフトをリーディングした際に受け取った、未来のメッセージのひとつが、ここに来て繋がってきている。
たぶん、最初の一歩。
私の今の立ち位置は、それを養い育てるのに正に最善の場所であるのだと知る。
私は今まで生きてきて、何かを成し遂げる直前、あるレベルまで達しさらに一歩進める、という瞬間に、いつも諦め投げ出してきた。
賞賛を求めながら賞賛を恐れ、自分の力量を発揮することに制限をかけてきた。
やる前に、「私にはそこまでは無理」と手を放してきた。
「甘え」「依存」は「諦め」をかくし、「諦め」は「制限」を生み出し、「制限」は「可能性」を隠す。
私の中では「自己責任の放棄」とは、「創造の責任」を認めないことであり、
「God I am」(神である)ことの否定にイコールで繋がっている。
つまり、自分は切り離された単体の存在であり、創造の力を持たず、無力で、他人に依って生きる存在であると自らみなしていることになる。
もの心ついた時からすでに持っていた、根深い私の側面。
私、よほどリセットしたいんだな。
今日、ひとつ行動を起こしたことで、変化が生まれた。
「生きた法則」が、私の動を通してするりと姿を変えたのだ。
それを知った瞬間、私もこの生きた法則の中の生命の一端であり、共同創造者なのだと感覚的に感じた。
同じ一個の生命体。
先月末、Pとこの生きた法則のシェアをした時に、なんとなくふっと頭を掠めたものがあった。
「神聖幾何学」
この法則は、幾何学なんだね、と私はPに伝えたのを覚えている。
まるで、大きな生命の美しい完全な繋がりを、一つのシンボルで現した「フラワー・オブ・ライフ」の様に。
そしてこの法則は、姿かたちを変えながらも完全なラインの美しさを湛え、生命の鼓動を宿して呼吸する、生きた幾何学なんだ。
そんな風に、私は感じた。
(あくまでも、感覚ね)
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◆蓮との出会い
どこか遠くに探し求めなくても、愛は自分の内にあった。
私は一人ぼっちじゃなかった。
目には見えないけど、大いなる存在に守られ生かされていることを知った。
頭ではなく心で感じた、最近の私の自己探究。
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◆dozen/Renのスピリチュアルカウンセリングの受付中
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