以下は、7月24日の夜、依存をやめたい、と思った時、じゃあ、依存すると自分に何をしていることになるのか、を自問自答したものです。
長い間ブログ更新が止まっていた理由に、人からの評価を気にしていた側面があった。
どう思われるかにとらわれ、そのまんまのあるままな自分を表現することに制限をかけていた。
でも、自分のために、書きたいから書くんだ。
誰かのためじゃない。
こういうところでも、自分に与える、をしていなかったな。
なんにせよ、抑圧はよろしくないね^^
依存は不全
不全は恐れ
恐れはパワー
パワーは闇
依存がある、
依存関係を持っている
=恐れでつながり合っている
それのあぶり出し
ラブスピースにおいて、そのパワーを持ち込むことは許されない
(持ったままではいられない。重たくなって自ら沈んでいく)
本当の自立
霊的自立のため
本来の自分を取り戻す=尊重するため
恐れなど持たなくてもよいと知るため
依存=自分には自分を支える力がないとコミットしている
内なる神を否定している、神は無いと思っている=自分の存在そのものを全否定している
自分にはないと思い込んでいるから枯渇感を持つ
枯渇していると思い込むゆえに、何か別のもので満たさなければ、と焦燥感に苛まれる
(焦燥感は幻想。エゴの欲求をすり替えて、足らないように感じさせられている)
【焦り】は、あるままを認めない
必然を受け容れていない
ゆえに、いつまでも自分の力は正しく活用されない
無いと思い込んでいるから、満たされない、という思い込んでいる
外からかき集めようとする
しかしその焦燥感は、錯覚
実は無い
幻想
幻想に本物のような存在感を与えているのは私の想念
それを毎旬選択し続けている
選択し続ければ必ず現実化する
エナジーはあるがままでごまかしが無い
具現されているものは、内のエナジー状態が物理にまで波及されたもの
幻想を真実と思い込み、幻想にエナジーを注ぎ続け、幻想を現実化させ、肥大させ、味わっている
それをやめるにはどうしたらよいか?
◇思考・感情チェック
常に観察し、反応している自分に気づく
気づいたらやめる
まず、反応していることに気づく
「深刻さは近視眼の合図」
「イライラや不安はエゴの合図」
「病気や体調の悪さは恐れを選択している合図」
常に照らし合わせて観る
そして、自分に問う
「私の心は自由。
エゴも愛も自分で選んで体験することができる。
いつでも選べる。
だから私は、いつでも愛を選択する。
うれしい、たのしい、わくわく、リラックス、安心、信頼、ゆだねる、真剣、正確、確認、観察
それは愛の行為か?
これは恐れの行為か?
つねに確認。
すでにここに在る、そのものが自らが神を宿している証明であるのに、それを認めないとは何なのか。
お金はエナジー
エナジー=力
力の扱い方
大浄化の後には、大きな変化が必ずやってくる
自立していないと、依存を手放していないと、
この土壌にいられなくなる変化・物理として具現が起こる
捻挫は警告
絶対目に見えてわかるような具現がこれから霊性の土壌でも起こる(予測)
その準備のためのたたき出し
それは愛であり、変化に対応できるよう、不要なものを教えてくれている
それについていくかどうか、それには本気さが問われている
私は、リセットに必要なことをすでに事前に伝えられている
・家計簿をつける
◇その目的は?
自分のエナジーの扱い方をチェックする
自分の状態を知るため
どこに無駄にエナジーを費やしているかを知る
どれだけ必要で、どこにエナジーを活用すべきか管理できるようにする
=パワーチェックになる
エゴに支配を預けている私は、後ろめたさがある
罪悪感を隠すために、不全にそっている好んでいる自分の行動を隠そうとする
エゴに加担する側面の私は、とても嘘つきだ。
いくらでもいいわけを生み出し煙に巻く。
でも、罪悪感もエゴのだましだ。
罪は、存在しないから。
罪が存在するのは、正しい・正しくない、善悪の観念がなければ成立しない。
比べるものが無ければ、【罪】は存在できない。
【正しい】が無ければ、罰は下されない。
責め、正当性を謳う。
それは優劣だ。
優劣は比較だ。
比較は、「自分」と「他人」に分離している。
比較は競争を生む。
競争は何をもたらす?
勝つことで自分を満たす
負けることで悲劇に浸り、自分はとても不幸、とアピールし、摂取しようとする
弱く見せる
同情を得ようとする
実はそれは、自分を隠している
不全を好むエゴ好きの自分を神聖さに隠そうとすると、明らかにされないまま潜伏し続ける
すると、エゴに覆われている、本来の自分の姿や力や才能まで隠されてしまう
才能や自分の力を発揮することを恐れるのはなぜか?
エゴで自分の本来の姿を隠すのはなぜか?
自分の人生の責任を引き受けたくない、のはなぜか?
自分の生きる責任=創造の責任
自分がすべてを選択し、すべてを自由に創り出していることを認める
作り出した具現をあるままに受容すること
自分で創り出せる、ということを認めないことは、自分には自在に創造する力があることを認めないこと
認めないと同時に、自分の存在そのものを認めないとコミットしている
創造の力を認めないことで得をするのはだれ?
分離の錯覚から私自身の創造の力で生み出した、想念体(エゴ)だ。
想念体は、想念体それ独自の意識を持つ
想念体は、
「神とは切り離されている」
「自分は孤独だ」
「私は神に見放された」
このような分離感や不安から生み出された存在
想念体の存在意義・定義とは、「恐れ」そのものだ。
恐れ、のエナジーから創り出されたため、そのエナジーの質はやはり恐れ
恐れの持つ独自の低周波の鈍く重いエナジーと共鳴する
火(愛)が寄り集まれば拡大するように、恐れも寄り集まると拡大する
吸収し、広がってゆく
想念体(エゴ)存在の本質そのものが「恐れ」であるため、同質の「恐れ」のエナジーを好んで寄り集まる
恐れのエナジーを食べて育つ
それが唯一の活力元だからだ
想念体も消えないために必死であがく
それに、私が協力的であればあるほど、愛の土壌にいるがゆえに「抵抗」となり、苦痛を生み出す
エゴに協力するから「苦しい」と感じたり、自分をないがしろにして愛の土壌にいられないようにあの手この手を使う
不全で本来の自分や能力を隠す、は、自分を認め、発揮されてしまうと想念体の好むエナジーを摂取できないから。
なんとか「自分を信じない」ようにささやき、「力がない」と思わせ、「価値を持つな」とコントロールする
その戯言に同意をしたとたん、私は神と同じ創造の力を持っているがゆえに、思いから現実が創られてゆく
エゴも私自身が生み出したもの、想念体は私から始まっているもの、それを認める
それは、私自身が創造したものだと認めること
自分の意思で生み出していると完全に認めること
起こした出来事を、完全に認めること
それは、自分自身で自らの意志でまた創り出せると、いつでも変化出来ることを知ることでもある
自分の力を知る
自分自身を知る
自分の行動を知る
それによって何を引き寄せたのかを知る
創造の力を知り、認める
自分から発せられていると本当に認めたとき、それは自らの内なる力を認めることになる
自らの神の創造力に降伏することになる
内なる神の協力者である顕在意識の物理を実際に生きる私が、エゴに活用していた創造の力を、
自らの責任として恐れを肥大させるためでなく、自分(神)への信頼を通して内なる声に従いつつ活用するとき、想念体は力を失い、自然に消えてゆく
または、これらのシステムを活用して、神聖な意識はエゴを滋養物とし、顕在をより純化させるためのツールに活用する
soramixi
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